2020年7月17日 国立大学法人東京大学大気海洋研究所 研究トピックスにて
地球表層圏変動研究センター 兵藤 晋教授らが発表を行い、
記事が掲載されました。



掲載内容
トラザメの胚はどのように栄養を取り込んでいるのか:らせん腸の形成と栄養吸収機能の発達


成果概要
東京大学大気海洋研究所生理学分野とアクアワールド茨城県大洗水族館の研究グループは、サメ・エイ類に特徴的な「らせん腸」が胚発生の過程でどのように形づくられ、栄養吸収機能が発達するのかを明らかにしました。卵生軟骨魚類の卵は、発生の途中で卵殻の一部が開く、「プレハッチ」という現象を起こすことが知られています。トラザメの胚発生過程を詳細に観察した結果、プレハッチまでにらせん状の巻きが作られ、プレハッチとほぼ同時に卵黄が腸へと流入し始め、栄養吸収に関わるアミノ酸・ペプチド輸送体遺伝子群が発現し、腸が機能的になることを見出しました。本研究の成果は、軟骨魚類胚の栄養吸収メカニズムに新たな知見をもたらすとともに、海洋生態系の保全などにも繋がる重要なものです。


発表内容
【研究背景】
サメ・エイ・ギンザメ類からなる軟骨魚類は、私たちヒトを含む硬骨脊椎動物とは約4億5千万年前に分岐したと考えられており、脊椎動物の進化を理解する上で重要な動物群です。海洋生態系の高次捕食者であり、近年では絶滅が危惧される種も増加しており、軟骨魚の生理生態学の理解は海洋生態系の保全にとっても重要な課題です。軟骨魚類は、尿素を体内に蓄積して海洋環境に適応することや、体内受精による卵生から胎生までの多様な繁殖戦略など、様々な特徴をもっており、その一つが「らせん腸」とよばれる腸管構造です。らせん腸は真骨魚類の腸に比べて太くて短いものの、内部にらせん状の腸壁が発達することで表面積を増やして栄養吸収効率を高めています。しかしこの独特の形状が個体発生の過程でどのようにして形成されるのか、いつから機能し始めるのかは、ほとんどわかっていませんでした。

軟骨魚類は発生に長い時間がかかることで知られています。たとえば本研究で使用したトラザメの場合、硬い卵殻に包まれた卵が産み落とされてから、約半年間をかけて発生・成長し、孵化にいたります。この途中、トラザメの場合には2ヶ月ほどが経過したところで、卵殻の一部が開く「プレハッチ」と呼ばれる現象が起きます。プレハッチによって卵殻内に海水が流入し、胚の呼吸や成長を促すと考えられていましたが、その意義については不明でした。

前述のように発生にかかる期間が長いこと、卵生種では一度に産む卵が2個であるなどサンプルの確保が難しく、軟骨魚類の発生研究は進んでいませんでした。アクアワールド茨城県大洗水族館との共同研究によって、トラザメ(Scyliorhinus torazame)の卵を多数得られるようになり、この問題を克服しました。トラザメは近年ゲノム解析が進み(関連論文1)、軟骨魚類研究のモデル動物として注目を集めつつあります(図1)。

【研究内容】
様々な発生段階のトラザメ胚の組織連続切片をもとに、らせん構造を立体再構築した結果、発生初期には直線状だった腸管の内部に、腸壁が立ち上がることで腸管腔が徐々にねじれ、発生ステージ31(注1)までに、らせんの巻き数が親と同じになることがわかりました(図2)。トラザメでは、この発生ステージ31の途中でプレハッチが起こることもわかりました。近縁種において、発生ステージ31の胚で、胚体外卵黄嚢(注2)に蓄えられている卵黄が腸内へと流入することが観察されていたため、卵黄が腸に入るタイミングとプレハッチ現象の関係を詳細に観察しました。その結果、プレハッチ後、長くても48時間以内には卵黄に蓋をしている膜状構造が崩壊し、卵黄柄(注3)を通って卵黄が腸に流入することを確認しました(図3)。

また、栄養吸収機能の指標としてペプチド輸送体とアミノ酸輸送体遺伝子(注4)の発現を調べたところ、腸管に卵黄が流入した発生ステージ32以降、特にペプチド輸送体の発現が上昇し、腸が栄養吸収機能を獲得することがわかりました。一方で、食道や直腸は、胚が卵殻から出て自ら餌を食べるようになるまで開口せず、口腔から総排泄口までの消化管の中で、らせん腸部分のみが直接卵黄を受け取り、胚発生期に機能することもわかりました。卵黄という限られた栄養源を用いて発生と成長を完了させるために、約4ヶ月間栄養吸収能力を最大限に効率化しているのだと考えられます。

【社会的意義・今後の展望】
これまでプレハッチとは、海水が卵殻内を循環することにより、胚の呼吸を助けるための現象だと考えられてきました。しかし本研究の結果から、プレハッチというタイミングは、少なくとも栄養吸収機能に関して、胚体内の消化管を使い始めるという、胚の生理学的機能の獲得に関わる重要な転換点であることが示唆されました。卵黄に蓋をしていた膜状構造がなぜ崩壊するのか、栄養輸送体遺伝子の発現をオンにするスイッチは何かなど、まだ不明な点は多く存在しますが、プレハッチは単に卵殻の一部を開口させるだけでなく、その現象を境に様々な生理学的変化が胚体に起こると考えられます。すなわち、軟骨魚における「プレハッチ」とは他の脊椎動物での「孵化」と同義であり、プレハッチ後の4ヶ月間は卵殻という安全な住み処の中でさらなる発生と成長を続けているだけなのかもしれません。

軟骨魚類の繁殖様式は卵生と胎生に分けられ、胎生の中にも、胚が子宮から分泌されるミルクを飲むタイプ、栄養卵を食べるタイプ、胎盤を作るタイプなどさまざまな様式があります。このように多様な栄養源を胚がどのように用いているのか、本研究で得られた知見が今後の軟骨魚類の発生研究に役立つことが期待されます。卵生種でも、プレハッチ前は卵殻外では生存できないと考えられており、プレハッチと同時に起こる様々な生理学的スイッチを明らかにすることで、絶滅危惧種が増加している軟骨魚類の保護、さらには持続的な海洋生態系の保全にも繋がることが期待されます。

・関連論文1:Hara et al., (2018) Nat Ecol Evol, 2, 1761-1771.


発表雑誌
雑誌名:
 「Journal of Experimental Biology」 223巻、2020年、jeb225557

対象論文:
 Morphological and functional development of the spiral intestine in cloudy catshark (Scyliorhinus torazame)

著者:
 Yuki Honda*, Wataru Takagi, Marty K. S. Wong, Nobuhiro Ogawa, Kotaro Tokunaga, Kazuya Kofuji, and Susumu Hyodo



用語解説
・注1 発生ステージ:
受精卵から動物の体が形作られるまでの過程をいくつかの段階に分けたもの。トラザメでは、発生ステージが1から34までに分けられている。
・注2 胚体外卵黄嚢:
胚の体の外にある、卵黄が詰まった袋のこと。
・注3 卵黄柄:
胚体と胚体外卵黄嚢を繋いでいる管状の構造。
・注4 ペプチド輸送体とアミノ酸輸送体:
腸において食物が消化されて生じたペプチドとアミノ酸を、それぞれ体内に吸収するためにはたらくタンパク質。


添付資料


図1.トラザメ親魚、ステージ31の胚と卵殻



図2. 発生とともに腸の管腔が“らせん状”に巻いていく様子。上段が組織切片像、下段は腸の内腔の3D図。



図3. 卵黄柄の中を移動する卵黄。白く見えるものが卵黄。




詳しくはこちらをご覧下さい。

関連リンク

大気海洋研究所 研究トピックス(2020年7月17日)