2020年9月4日 国立大学法人東京大学大気海洋研究所 プレスリリースにて
地球表層圏変動研究センター 横山祐典教授らが発表を行い、
記事が掲載されました。



掲載内容
過去5000年間の南海・駿河トラフ巨大地震による駿河湾の津波と海底地すべり


発表のポイント
◆ 静岡県焼津平野・浜当目低地は、7mの高さの浜堤に庇護された小規模な低地です。このような低地は、津波堆積物の保存されやすい環境なので、古文書記録を超えた数千年間の津波の発生履歴を調べるために、同低地の12地点でボーリングコアを掘削し、地中レーダ調査を行い、堆積物の観察、貝化石・有孔虫化石の群集解析、硫黄・炭素量測定、放射性炭素年代測定(注1)を行いました。その結果、4層の砂質堆積物を発見しました。

◆ 砂層1は紀元前805~405年の間に堆積し、紀元前3090年~西暦1096年永長東海地震(注2)までの4000年間で、同低地にあった潟(ラグーン)に堆積した唯一の津波堆積物です。南海・駿河トラフの巨大地震の発生間隔が90~270年であるにも関わらず、4000年間に1回の津波浸水という発生頻度の低さは、この津波が通常の巨大地震の津波よりも大きかった可能性を示唆します。

◆ 砂層2-4はそれぞれ1096年永長東海地震、1361年正平康安地震(注3)、1498年明応東海地震(注4)に伴う津波に対応することが分かりました。

◆浜当目低地では、海岸側の地点では潟から海浜に環境が変化し、陸側では潟から後背湿地に環境が変化したことが分かりました。潟から後背湿地の境界には砂層2があり、その堆積後、津波浸水の頻度が増加します。潟の持続には、外洋からの波浪を遮蔽する「砂嘴」が必要です。したがって、堆積環境と津波浸水頻度の変化は、「砂嘴」の消滅で合理的に説明されます。そして、砂層2の存在から、「砂嘴」の消滅は1096年永長東海地震に伴う海底地すべり(注5)によると推定されます。

発表内容
歴史記録により、南海・駿河トラフでは、西暦684年の白鳳地震以降、90~270年間隔で、マグニチュード8クラスの大地震と大津波が発生しています(図1.)。これらの大地震・大津波のうち、1498年の明応地震では、焼津市の小川(こがわ)にあった林叟院(りんそういん)の跡地が地震・津波後に海没したことが古文書に記されています。さらに、2009年8月11日に発生した駿河湾の地震(Mj6。4)では、焼津市の海岸から約5kmの場所で幅450m、深さ10–15mの海底地すべりが起き、津波高を増大させるとともに、駿河湾深層水取水施設の687m深層水取水管を切断し2km流したことが判明しています。つまり、焼津市沿岸は、過去500年間に2回の海底地すべりが起きているのです。

 東北地方太平洋沖地震とそれに伴う巨大津波による激甚災害を教訓に、国は南海・駿河トラフの海溝型地震の被害想定を、「想定外のない想定」へ方針転換し、それまで防災対策の対象としてきた「東海地震、東南海地震、南海地震とそれらが連動するマグニチュード8 程度のクラスの地震・津波」を「レベル1の地震・津波」とし、「あらゆる可能性を考慮した最大クラスの巨大な地震・津波」を「レベル2の地震・津波」としました。レベル1地震・津波の発生間隔は約100~150 年で、レベル2地震・津波は1000年あるいはそれよりも発生頻度は低いが、発生すれば津波高10 m 以上の巨大な津波が13 都県に襲来し、国難とも言える巨大災害になるとしました。そして、国は、想定は限られた科学的知見によるので、津波堆積物調査などの促進を図り、巨大地震の全容を解明するための努力が必要と述べました。この提言を受け、私(北村)は共同研究者や静岡県・焼津市とともに、津波堆積物調査がほとんど行われていなかった静岡県中・東部の海岸低地の調査を行いました。そして、本県中西部における藤原 治研究員(産業技術総合研究所)の調査結果と合わせて、本県の過去4000年間の地層・地質記録にはレベル2津波の痕跡は見つからなかったことを明らかにしました(Kitamura、 2016)。なお、これらの内容は、『静岡の大規模自然災害の科学』に一般向けに分かりやすく解説しています。

 前述した焼津市小川における1498年の明応地震の時の海没は、「レベル1地震」と「海底地すべり」の連動で、被害規模はレベル1とレベル2の間の規模で、レベル1。5の地震・津波といえます。したがって、次の南海・駿河トラフの巨大地震では、「レベル2の地震・津波」よりも、実際に起きたことのある「レベル1地震」と「海底地すべり」の複合災害への対応は重要ですが、それゆえに詳細を解明する必要があります。

 そこで、明応地震以前の津波の発生履歴の解明とともに、明応地震の海没の範囲を検討するために、焼津市の小川の北に位置する浜当目低地で津波堆積物の調査を行いました(図2.)。その結果、そこでは1096年の永長東海地震で、砂嘴が消滅したことが明らかとなりました(図2.―5.)。実は、この解釈は虚空蔵山の直下にある那閉神社(なへじんじゃ)の伝承と符合します(図6.)。すなわち、「古くは鍋崎といって虚空蔵山から10丁(1。09 km)余りも張り出した洲崎があり、その先のカンノイワがあるあたりに那閉神社があり、後に洲崎が波に削られて神社が移った(焼津市史 民俗、編)」です。時代は不明ですが、洲崎の存在と消滅は、本研究で得た知見と符合するのです。南海・駿河トラフの大地震と大津波は90~270年間隔で起きていたのに対して、浜当目低地にあった潟(ラグーン)は永長東海地震の発生まで、少なくとも4000年間は存在し、厚い粘土層を堆積しました。このことは、波浪や津波から潟を守る砂嘴が4000年間は存在していたこと、つまり、砂層1をもたらした津波を含め、20回ほどの大地震・大津波の襲来にも砂嘴は耐えたことを意味します。したがって、砂嘴の消滅の原因は、それまでのレベル1地震・津波と異なる現象に帰するのが妥当です。そこで、私たちは、1498年の明応地震と2009年8月11日の駿河湾の地震で海底地すべりが発生したことから、砂嘴の消滅の原因を永長東海地震に伴う海底地すべりが最も考えやすいとしたのです。

 レベル1の地震に伴う海底地すべりによる海没の事例は、南海・駿河トラフ全域を見ても、本研究で明らかになった1096年の永長東海地震(浜当目)と1498年の明応地震(小川)しかありません。隣接地域なので、1096年の永長東海地震の海底地すべりによる海底地形の変化が、1498年の明応地震の海底地すべりを誘発した可能性もあります。

 1096年の永長東海地震と1498年の明応地震の海没については、ともに規模(海岸線に沿った幅)が不明のため、今後は、浜当目と小川の間でボーリングコアを掘削し、堆積環境の変化と津波堆積物の調査を行う必要があります。


発表雑誌
雑誌名:
 「Quaternary Science Reviews」

対象論文:
 Kitamura A., Yamada K., Sugawara D., Yokoyama Y., Miyairi Y. and Hamatome team, 2020. Tsunamis and submarine landslides in Suruga Bay, Central Japan, caused by Nankai–Suruga trough megathrust earthquakes during the last 5000 years.

著者:
 北村晃寿1, 2, 山田和芳2, 3,菅原大助2, 3,横山祐典4,宮入陽介4

 1: 静岡大学理学部,2: 静岡大学防災総合センター, 3: ふじのくに地球環境史ミュージアム, 4: 東京大学大気海洋研究所



用語解説
・注1 放射性炭素年代測定:
放射性同位体(炭素14)の存在比から年代を推定する方法。生物が体内に取り込んだ炭素同位体の比率は、その生存中では大気中と同じく一定値を保つが、生物の死後は、放射性同位体である炭素14が放射壊変により時間経過と共に減少する。化石試料に含まれる炭素同位体ごとの存在比を計測して、安定同位体(炭素12及び炭素13)と放射性同位体(炭素14)の比率を求めたうえで大気中の炭素14の存在比率と比較することで、生物の死後に経過した時間が分かる。

・注2 1096年永長東海地震:
『師通記』によれば、駿河国(大井川以北、国府は静岡市内)から「大地震、仏神舎屋百姓四百余流出」という報告がある(石橋、 2014)。

・注3 1361年正平(康安)地震:
1361年7月26日午前4-5時頃に発生した大地震は、正平(康安)南海地震とみなされている。その2日前にも比較的大きな地震があり、正平(康安)東海地震と解釈されているが、東海地方では地震や津波の記録はなく、その発生は判然としない状況だった。しかし、2017年に北村が御前崎で発生を裏付ける地質学的証拠を発見した(Kitamura et al。、 2018)。そこの波食台(標高1。05–1。35m)で、穿孔性二枚貝Penitella gabbii (オニカモメガイ)の化石を発見したのだ。穿孔性二枚貝は岩石などの固結した基質に孔を開け、その中で生活し、一度孔を開けて穿孔生活を始めると孔から出れない。波食台の貝化石は隆起を意味し、貝殻の放射性炭素年代値から、隆起は正平(康安)東海地震によることが分かった。

・注4 1498年明応東海地震:
この地震と津波の被害は県内の数地点に記録されている。浜名湖は、海と直接つながっていなかったが、地震と津波で現在の今切が形成され、海と直接つながった。一方、地震前に浜名湖と海を結んでいた浜名川沿いにあった港湾都市・橋本は壊滅した。磐田・袋井周辺では、遠州海岸の砂丘の内陸側に潟湖が広がっていた浅羽低地で、物資集散地だった元島遺跡の湊と浅羽湊が地震で衰退ないし消滅した。焼津市では、小川(こがわ)にあった林叟院(りんそういん)の跡地が地震・津波後に海没した。また、清水区村松の海長寺の日海記には、同寺の僧侶が小川で津波に遭遇し、亡くなったことが記されている。

・注5 海底地すべり:
地震、火山活動などで誘発される海底の地すべりであるため、多くの場合、発生時期の特定が困難である。地震に伴う海底地すべりで海没した最近の事例では、1999年のトルコで起きたマグニチュード7。4のコジャエリ地震で、震源から約10 kmのイズミット湾に面した奥行き100m、間口数百mの土地が海没した。1964年にアラスカで発生したアラスカ地震(Mw=9。2)では、フィヨルドで海底地すべりが発生し、海没した。加えて、海底地すべりで、強振動の始まりから5分以内に局地的な津波を引き起こした。東北地方太平洋沖地震では、三陸沿岸の津波は海底地すべりで増大したという説もある。また、2018年9月28日のスラウェシ島地震では、マグニチュード7。5の横ずれ断層の地震に伴い、液状化した海岸堆積物の崩壊が9か所で起き、複数の津波を発生させた。それらの津波の高さは平均して3~4m、局所的には6。8mに達した。



添付資料


図1.南海トラフ・駿河トラフの巨大地震





図2.駿河トラフと浜当目低地。1-12はボーリング掘削地点。





図3.柱状図と放射性炭素年代値。





図4.砂層2,3,4の堆積年代





図5.浜当目低地の堆積環境の変遷





図6.虚空蔵山とその直下にある那閉神社



詳しくはこちらをご覧下さい。

関連リンク

大気海洋研究所 プレスリリース(2020年9月4日)

静岡大学 プレスリリース(2020年8月31日)