2022年9月27日 国立大学法人東京大学大気海洋研究所 研究トピックスにて
地球表層圏変動研究センター 兵藤 晋教授らが発表を行い、記事が掲載されました。
図1.サケ(Onchorhynchus keta)飼育実験の概要。最適温度13℃±5℃の条件で飼育し7日後と14日後に腸内、表皮、飼育水の微生物叢の変化を調べた
図2.異なる水温環境下でのサケ微生物叢(綱レベルでの分類群組成)。(A)腸内(B)表皮(C)飼育水
図3.低温条件(8℃)、高温条件(18℃)での魚類病原性細菌種の相対出現頻度の増加
掲載内容
気候変動がサケの微生物叢を乱す?
成果概要
魚の消化管や表皮に存在する微生物は、魚の健康に関与していると考えられています。気候変動による海洋環境の変化は、魚類微生物叢(注1)を撹乱することで魚の生理的恒常性を乱す可能性がありますが、十分な答えは得られていません。東京大学大気海洋研究所の濵﨑教授と大学院生のGhosh氏らの研究グループは、サケ(注2)を用いた飼育実験を行い、水温の上昇や低下が腸内・表皮微生物叢の変化を引き起こし、病原性細菌の増加など宿主に影響を与える可能性があることを示しました。海洋環境の変化は、サケの生残に直接的に影響するだけでなく、腸内・表皮微生物叢の変化を通じて間接的にも影響を与えると考えられます。
発表内容
【研究背景】
魚の腸内や表皮の微生物叢は、しばしば宿主との強い相互作用を示し、生体の恒常性維持に重要な役割を果たします。 これらの微生物叢は、環境要因の変動によってその群集構造が乱されることが報告されています。日本人にとって馴染みの深いサケ(Onchorhynchus keta)は、河川から外洋域まで広域に回遊し一生を通じて多様な環境を経験します。気候変動による海洋環境の変化は、こうした回遊魚の成長や生残にどのような影響を与えるのか、特に腸内・表皮微生物叢の撹乱による影響はわかっていませんでした。本研究では、温度環境の変化がサケ微生物叢の群集構造とその形成プロセスに与える影響を明らかにすることを目的としました。
【研究内容】
実験には、人工ふ化後に研究所の水槽で2年間飼育されたサケを使い、最適温度(13℃)とそこから水温を5℃上昇(18℃)もしくは低下(8℃)させた条件での腸内および表皮微生物叢、飼育水微生物叢の違いを比較しました(図1)。その結果、サケの腸内微生物叢は主に通性嫌気性細菌の一種であるガンマプロテオバクテリア綱アリビブリオ属で構成されていること(図2A)、高水温および低水温環境ではそれぞれビブリオ属とテナシバキュラム属細菌の相対量が高いことが明らかになりました(図3)。これらの細菌グループには、日和見感染を起こす病原性種が含まれるため、こうした変化は病気の発症を通じて宿主の免疫系に影響を与える可能性があります。一方、表皮微生物叢はフラボバクテリア綱フラボバクテリア属細菌が優占していましたが、低水温環境ではベータプロテオバクテリア綱細菌が急増することがわかりました(図2B)。ベータプロテオバクテリア綱細菌はストレス特異的なバイオマーカーと見なされることが多く、低水温環境でのストレス増加を示唆しています。また、サケ微生物叢の形成に飼育水中の微生物叢がどの程度影響しうるかについても分析したところ、腸、表皮、飼育水の微生物叢の間で明確なクラスター化パターンを示したことから、それぞれ環境に適応した特有の微生物叢が形成されていると考えられます。さらに、腸内と表皮それぞれの微生物叢を構成する種間の系統学的な近縁度の比較から、微生物叢の形成が環境選択による決定論的なプロセスによるものか、ランダムな確率論的プロセスによるものかを調べました。その結果、腸内微生物叢の形成には環境変化による(今回の場合は水温変化への適応度の違いによると考えられる)選択が大きく寄与する一方で、表皮微生物叢の形成には環境選択よりも確率論的プロセスの寄与が大きくランダムに決まる要素が強いことがわかりました。
【社会的意義・今後の展望】
本研究の結果は、水温環境の変化はサケの生残に直接的に影響するだけでなく、腸内・表皮微生物叢の変動を通じて、間接的にも影響を与える可能性があることを示しています。現状では、サケの生理的恒常性維持に、腸内・表皮微生物叢がどのような役割を担っているかわかっておらず基礎的な知見が不足しています。今後は、魚と微生物叢の機能的な補完関係や相互作用についてさらに研究を進める必要があり、そうした知見の蓄積により、気候変動に伴う海洋環境の変化がサケのような水産重要資源に及ぼす影響の理解とより良い資源保全策につながると期待されます。
発表雑誌
雑誌名:Frontiers in Marine Science
論文タイトル:
Temperature modulation alters the gut and skin microbial profiles of chum salmon (Oncorhynchus keta)
著者:
Subrata Kumar Ghosh*, Marty Kwok-Shing Wong, Susumu Hyodo, Shuji Goto, Koji Hamasaki*
doi: https://doi.org/10.3389/fmars.2022.1027621
用語解説
・注1 微生物叢:
環境中に生息する多様な微生物の集まり。
・注2 サケ Onchorhynchus keta:
「サケ」は広くサケ類を示すこともあるが、ここではO. ketaの標準和名として使う。秋に北海道や東北地方の河川を遡上し産卵する。孵化後は海に出て、北太平洋を回遊しながら成長し、成熟すると母川に回帰する。
添付資料
関連リンク
・大気海洋研究所 プレスリリース(2022年9月27日)