2023年4月13日 国立大学法人東京大学大気海洋研究所 プレスリリースにて
地球表層圏変動研究センター 兵藤 晋教授らが発表を行い、記事が掲載されました。
掲載内容
ヌタウナギの後葉ホルモン受容体を解明! ~環境適応能力の進化の謎に迫る~
成果概要
ヌタウナギ(蒲焼のウナギとは別物)は、脊椎動物のなかでも原始的な特徴をもつと考えられている生き物です。島根県で多く漁獲されますが、研究は極めて遅れています。島根大学 生物資源科学部の山口陽子助教らを中心とする共同研究グループは、ヌタウナギの研究から、生存に不可欠な後葉ホルモン(抗利尿ホルモン)系の成り立ちについて、新たな仮説を提唱しました。今後、脊椎動物の進化を理解する上で、島根県のヌタウナギが重要なモデルとなることが期待されます。
発表内容
【研究の背景】
脊椎動物は約 5 億 3 千万年前の海で誕生し、長い時間をかけて汽水・淡水や陸上環境に進出しました。現在見られる脊椎動物の大半は上下に分かれた顎をもつことから「顎口類」と呼ばれます。
これに対し、顎をもたない「無顎類」の生き残りがヌタウナギです。ヌタウナギは約 5 億年前に顎口類の祖先と分かれてから、一貫して海で暮らしてきたと考えられています。進化を考える上で重要な位置を占めるヌタウナギですが、研究はほとんど進んでいません。なぜなら現生種の大半が深海性で、捕獲が難しいからです。これに対して日本近海に生息する種(Eptatretus burgeri)は例外的に浅海にも分布し、容易に捕獲できます。実は島根県は全国有数のヌタウナギ漁獲地で、特に県西部で盛んに水揚げされています(すべて韓国に輸出しているため、県民でも知る人は多くありません)。私たちのグループでは、島根県の地の利を生かし、ヌタウナギをモデルとして、脊椎動物の環境適応能力の進化について研究しています。
本研究で着目した後葉ホルモン(注1)は強力な抗利尿作用(注2)をもち、特に乾燥した陸上環境に適応する上で必須のホルモンとして知られています。しかし実際には、後葉ホルモンは抗利尿だけでなく、血圧上昇や生殖、他のホルモンの分泌などを制御する多機能なホルモンです。この秘密は後葉ホルモンの受容体にあります。受容体とはホルモンを受け取る分子のことで、後葉ホルモンの場
合、7 種類の受容体を使い分けて多彩な機能を発揮します。後葉ホルモンの起源は無脊椎動物にまで遡ることができますが、受容体がどのように多様化し、脊椎動物の環境適応能力に貢献してきたのかはよくわかっていません。私たちは、現生の脊椎動物のなかでも原始的な特徴を多く残
すとされるヌタウナギの研究を通して、後葉ホルモン受容体の初期進化を明らかにしようと試みました。
【研究の成果】
現在知られている7 種類の後葉ホルモン受容体は、大まかに V1型(V1aR, V1bR および OTR)と V2 型(V2aR, V2bR, V2cR および V2dR)に分かれます。先行研究で、ヌタウナギが V1 型と V2 型の受容体をひとつずつもつことが予想されていました。本研究ではこれら受容体を実際に単離することに成功し、それぞれの組織分布や機能を調べました。その結果、ヌタウナギのV1型受容体は主に脳や鰓で発現することがわかりました。脳内では特に視床下部(自律神経系の中枢)や下垂体(各種のホルモンを分泌して末梢器官を制御する)で発現が見られました。これは既知のV1aR や V1bR と類似します。一方で、ヌタウナギの V2 型受容体はほぼ心臓だけに発現していました。このような心臓に特化した発現パターンは前例がなく、ヌタウナギの後葉ホルモンが他の脊椎動物と異なる独自の機能をもつことが予想されます。また、ヌタウナギの腎臓では、後葉ホルモン受容体はほとんど発現していませんでした。顎口類の腎臓では V2aR が発現し、後葉ホルモンの代名詞である抗利尿作用を司ります。しかし本研究により、ヌタウナギにおいては、腎臓は後葉ホルモンのターゲットではないことが明らかになりました。
また本研究では、特に魚類(サメ、ガーおよびメダカなど)に焦点をあて、後葉ホルモン受容体の分子進化について検証しました。現在知られている 7 種類の受容体は、もとは 1 種類の祖先型分子から派生したことがわかっていますが、その過程は謎でした。分子系統解析(注3)や網羅的なシンテニー解析(注4)の結果、1)顎口類の受容体が 2 種類 x3 ペア(V1aR-V2c/dR ペア、OTR-V2bR
ペア、V1bR-V2aR ペア)として成立し、2)さらに染色体の再編等を経て現在の受容体ファミリーが形成されたことを明らかにしました。また、ヌタウナギ(および近縁なヤツメウナギ)の受容体は、顎口類とは別に独自の進化を遂げた可能性も示唆されました。これらの結果は、後葉ホルモン系の分子・機能進化が、従来考えられていたよりも複雑であることを示しています。
【今後の展望】
・本研究により、ヌタウナギの後葉ホルモン系が顎口類とは異なる特徴をもつことが明らかになりました。今後、ヌタウナギの脳や心臓で後葉ホルモンがどのような作用を示すのか検証することで、後葉ホルモン系の機能進化ならびに環境適応能力との関係について新たな知見が得られると期待されます。
・既に述べた通り、ヌタウナギの生態や生理に関する研究は極めて遅れています。ヌタウナギはスカベンジャー(注5)として海洋生態系の一端を担っていることに加え、島根県においては重要な水産資源です。本種の基礎研究を推進することは、ひいては生物の多様性に関する理解を深め、持続的な開発に貢献することにつながります。
・今回の成果は、ヌタウナギの基礎研究として価値があるだけでなく、「脊椎動物の進化を考える上でのモデル生物」としての本種の重要性を示すものです。近年ヌタウナギのゲノム情報が公開されたこともあり、研究者の注目が集まっています。島根県はヌタウナギ研究に関して他の追随を許さない圧倒的な地の利を有することから、今後国際的な研究拠点となることが期待されます。
発表雑誌
雑誌名:General and Comparative Endocrinology
論文タイトル:
Phylogenetic and functional properties of hagfish neurohypophysial
hormone receptors distinct from their jawed vertebrate counterparts
(ヌタウナギの後葉ホルモン受容体の分子系統学的および機能的特徴:顎口類との相違)
著者:
Yoko Yamaguchi, Wataru Takagi, Hiroyuki Kaiya, Norifumi Konno, Masa-Aki Yoshida, Shigehiro Kuraku, Susumu Hyodo
doi: https://doi.org/10.1016/j.ygcen.2023.114257
用語解説
・注1 後葉ホルモン:
脳の下垂体の後葉という部位から分泌されるホルモン。
・注2 抗利尿作用:
腎臓での水の再吸収を促進し、尿量を減少させる作用。 体内に水分を保持するために重要。
・注3 分子系統解析:
タンパク質や遺伝子の配列がどのくらい似ているかを解析し、各分子の進化的な類縁関係を推定する手法。
分子配列は進化の過程で変化するが、近縁な分子ほど配列が似ていると期待される。
・注4 シンテニー解析:
伝子の染色体上の位置(並び順)を解析する手法。 まずターゲットの遺伝子がどの染色体に存在するかを調べた後、その近傍にどのような遺伝子があるかを一覧にして比較する。生物の種が違っても、同じ遺伝子であれば、近傍の遺伝子の顔ぶれも似ていると期待される。分子の類縁関係を推定する際、上記の分子系統解析とあわせて用いられる。
・注5 スカベンジャー:
腐肉食性の生物の総称。スカベンジャーが動物の死骸を食べて分解することで、環境の健全性が維持される。
詳しくはこちらをご覧下さい。
関連リンク
・大気海洋研究所 プレスリリース(2023年4月13日)